チーム名「YAMATOくれびと」にこめた思い 100年後の「YAMATO」

「おこぎ船伝説」は、「阿賀のこどもたちがふるさとに誇りをもてるものを」と着想し、つくった詩曲です。
 「活動を阿賀から呉全体のものに広げてほしい」といういろいろな方の要望を受け、
チームのメンバーに、阿賀中関係以外の中高校生も加えるためには、
「呉のこどもたちがふるさとに誇りをもてるものを」つくる必要がありました。
そこで、呉市の歴史をいろいろと調べるうちに、
「かつて世界一といわれた戦艦大和をつくった」という歴史的な事実を題材に、そのことを実現しようと考え、
それで「YAMATO」ということばを曲名やチーム名にいれることを考え始めました。
戦艦大和 
ところがこのことをまわりの人に話すと、
「それはやめといたほうがいいよ。戦争賛美とか、右翼とかそんな誤解を受けるよ」
「平和大通りで戦艦大和の曲?怒られるよ…」
そんな声が聞こえてきました。実際、そのようなことをいわれている方がいるということを、時々聞くことがあります。それでちょっと
このチーム名についての説明をHPでもすることにしました。

戦艦大和=戦争というイメージが軍港として栄えたふるさとの暗いイメージを
また、大和ということばが戦前の行き過ぎた民族意識を呼び覚まし、多くの人の、とりわけ戦争でつらい体験をした人々にとって
少し、受け入れがたい言葉になっていることは僕も知っています。
実際、僕自身も、まわりの人の抱くそのような受けとめを長い間当然のこととして理解し、それらのことばをさけてきたところがあります。

けれども、ずっと、そのままでいいのかな…とふと、思うのです。

「100年先の子供達に何が残せるか」を考えるのが僕らおとなの仕事です。

10年後も、100年後も、ぼくらは、ふるさと呉を「軍港として栄えた」という暗いイメージのみを伝えていくのでしょうか?
日本をさす「大和」という言葉を、暗いイメージをもつことばのまま、口ごもっていくのでしょうか?

あるいはそうであるべきだと考える人もいるでしょうが、ぼくらが、躊躇している間に、
皮肉にも、今のこどもたちに「大和って知っている?」とたずねると、
「知っているよ、宇宙戦艦ヤマトのことでしょ?呉がつくったの?」と真剣に答えるこどもがいるという笑えない現状を生み出してしまいました。

こどもたちに、ふるさと呉にどういう形で誇りを持たせるか?

かつて世界一の戦艦をつくった「ものづくり」の技術力に注目することももちろん悪くないとは思うのですが、僕は、
戦争直後、呉市民が住民投票によって可決した軍転法(旧軍港市転換法)という法律にこめられた当時の呉市民の思いに注目したいのです。

呉市政だより第2号」には、この法律の趣旨がこう書かれています。

われわれ、呉市民が…(中略)みずから国際人となるべき素養をつくるとともに、市のあり方を平和都市に切り替えていく、
それによって世界平和に貢献するという高邁なる理想、これこそこの法律の最大のねらいであります。この事業は市民の自力更正で…

住民投票を呼びかける当時の先人達
「軍港として栄えた歴史をもつからこそ、世界平和へ貢献できる町を今度は自分達の力でつくっていこう」
そんな大きな夢と決意を先人達は、戦後、住民投票という方法で高らかに世界に表明したのです。

僕は、この熱い夢と誓いこそ、「呉市民の宝(家訓?)として100年先まで、呉のこどもたちには、語り継ぎたいと思うのです。
(驚いたことに、このことを呉市民の中でも知らない人が少なからずいるという残念な現実もあるので…)

けれども、戦争を知らない僕達が、その思いを真に理解するためには、やはり「戦争体験」をきちんと学ぶことぬきではだめなのです。
そのことを「男たちの大和(著 辺見じゅん(ハルキ文庫)」という本は教えてくれます。
この本は、戦艦大和にかかわった先人達のいきざまをノンフィクションで描いた本で、この本を読むと、本当は、この本に描かれた戦争体験こそ
僕達が受け継がなければならないものであることを教えてくれます。(ぜひ、読んでみてください!映画にもなりましたが,本の感動にはかないません)

戦争の悲惨さを胸にきざみ、その上で、ぼくらは、呉市民はこの誓いを受け継ぎ、
それぞれの立場で、今度は、平和に貢献できる「YAMATO」という名の何かをつくりだす努力を積み重ねるべきなのではないでしょうか。

そして、ぼくらのつくった新しい「YAMATO」が平和に貢献できたと世界に認められた時にこそ、
ぼくらは、呉市民(くれびと)であることを
そして日本人(YAMATO)であることを、真に、誇りに思える日がくるのではないでしょうか?

その道を歩むことこそが、ぼくら「くれびと」の歩むべき道ではないでしょうか。

「YAMATOくれびと」というチーム名は、そんな思いをこめて、つけました。
そして、「YAMATO HEARTS」と「YAMATO魂ーおれらの祭りー」も、そんなメッセージをこめてつくった詩曲で、
こどもたちが、自分達でつくりあげた踊りです。

もちろん、ただの踊りですから、その「思い」しか伝えることができません。
けれども、この踊りを通して、多くの人にその思いを伝えることで、踊り子や、そして、踊りをみた人が、それぞれの立場で
「戦争について学ぶ機会を持ち」
「平和に貢献できるYAMATOをそれぞれの立場でつくる」ことを真剣に考えてくれる機会となることを僕達は願っているのです。

そして、実際、阿賀中&OBソーラン隊が、「阿賀もん」ということばのイメージをかえてくれているように
「YAMATOくれびと」のメンバー達の一生懸命の踊りをみた人たちが、「YAMATO」や「くれびと」ということばに対するイメージをかえてくれている
ことを実感しています。かれらだからできる奇跡のようにも思えます。感謝です。

「YAMATO HEARTS」など私達のチームの踊りを市内でも小学生が踊ったということを聞いてびっくりすることがありますが、
踊りだけでなく、それにこめられた願いもきちんと伝えてくださることを願っています。


100年後はどうなっているかはわかりませんが、
「YAMATOくれびと」にかかわってくださっている人、これからかかわってくださろうとしている方には、
ぜひ、チーム名にこめられたこの思いを引き継いでもらいたいと考えています。
また、このホームページを訪れてくださったあなたにも、ぜひ、ご理解いただき、
「YAMATOくれびと」の若者たちの活動を応援、またご支援いただけたらと願う次第です。

           2003年7月 YAMATOくれびと代表 若本 正

<追伸> YAMATOくれびとの呉マークについて


YAMATOの法被の背中のデザインは、当時の阿賀中学校の福原先生のアイデアによるものです。戦艦大和から吹き上がる新しい呉をつくろうとする熱い思いを表現して下さったすばらしいデザインです。

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